『風立ちぬ』感想

風立ちぬ』を見に行った帰り、妻が「宮崎駿は本当に女が分かってないんだねえ」とあきれたように言った。さらに「映画全体も何だかはっきりしないモヤモヤしたわけの分かんない作品だったし」。
別に私に宮崎駿を弁護するあれも無いのだが何となくこのようなことをしゃべった。




いやいや。この映画を堀越二郎の伝記と思ってみるから変に見えるんじゃないかな。
これはね、伝記映画のスタイルを借りた「宮崎駿の自伝」だよ。アニメ監督の物語だよ。庵野秀明が声をあてているというのがまさにその証拠で。子供の頃、パイロットになりたかったけど目が悪かったためにあきらめてマンガ家を目指し、一流大学に入ってアニメの監督になるという夢を叶えた男の話なんだよ。
宮崎と高畑勲という若き俊才二人が東映動画に入って先輩達にもまれ。皆でスイスに視察に行って青春を謳歌したり。「今度の企画には高畑さんを貸して下さい」「ダメだ。高畑には別にやってもらうことがある」とか言われたりしながら。
だからあのカプローニってのも宮崎駿が憧れてる誰か先輩アニメーターのことなんだよ。その、森やすじとか。
繰り返し「才能を発揮できるのは10年」とかいうセリフがでてきたけど、そんな話初めて聞いたよ。黒澤明の絶頂期は少なく見積もっても20年はあるし。だからあの「10年」というのは宮崎が自分自身のキャリアを振り返っての数字なんだろうね。
で、ほぼ自身の半生を正確に再現した自伝ではあるんだけど、多分、あの菜穂子ってのは宮崎駿の奥さんのことじゃないんだ。あれは、何と言うか「ミューズ」というか「才能」の擬人化なんじゃないかな。病弱だったりするのも、才能ってのがすごくデリケートで壊れやすいことを意味してるんだと思う。だから多分、才能を、サナトリウムで療養させるみたいに大切に扱いながら、細く長くアーティストとしてやっていくという人もいると思う。というか大抵の人はそうだよ。でも宮崎監督は一瞬で才能を燃やしつくす方を選んだんだよね。「俺には時間が無い」って言いながら突っ走った。ミューズの手を取りながら。時にミューズの方から誘惑されたりしながら。
だから、菜穂子が山に帰るシーンは…。才能が自分から去っていくのを茫然と見送るしかない芸術家の姿なんだ。二郎の妹が号泣するけど、二郎は泣かないよね。失われていくものの背中をただそっと見送ったんだ。本当は号泣したかっただろうけど。
ゼロ戦を作った男の話なのに、ゼロ戦を作る場面が無いのが変だと思うかもしれないけど。宮崎駿は『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』を作った監督として映画史に残るのかもしれないけど。本当にミューズと手を取り合って作ったのはゼロ戦じゃなくて、そのずっと前、『ナウシカ』や『トトロ』だったって自分では思ってるんじゃないかな。
菜穂子がどうやって死んだのか分からないからモヤモヤするかもしれないけど、才能がどうやって消えていくのかなんて誰にも分かんないよ。それはぼんやりと何時の間にか消え去っているんだ。それでも、その後も芸術家は生きていかなきゃならないからね。すごく残酷で悲しくて美しい映画だと思う…。



気がつくと途中から妻は全く話を聞いてなかった。ええ!?